高橋じゅんの今日聴いた音楽

バイオリンとアコーディオンのデュオ「SIESTA」がプロデュースする「CAFE SIESTA」では、こんな音楽が流れています。

「SIESTA CONCERT 2023 @あかいくつ劇場」

先週の土曜日は「あかいくつ劇場」で、新作コマ撮りアニメーション「Small Wizard Rondo」の完成披露コンサートでした。

 

お天気にも恵まれ、とても気持ちいい秋晴れの中、まずはスタッフと共に会場設営。

 

ロビーには、セットも展示します。

 

物販も準備。

 

いよいよ開場です。

 

 

たくさんのお客様にお越しいただき、コンサートが始まりました!

 

今回は「シエスタニメーション・コンサート」ということで、一部からたくさんアニメーションに合わせての生演奏を行いました。

(「ブーシュカのおにぎり屋」)

 

(「PUPU」)

 

(「PONPONS PHARMACY」)

 

「パリの街角」も少々。

 

少し機材トラブルがありましたが、無事に一部終了。

休憩を挟んで、二部へ。

いよいよ新作「Small Wizad Rondo」の初披露です。

 

コンサートも佳境へ。

(「A LETTER」)

 

あっという間に、終演。

アンコールもいただきました!

 

もう一度「Small Wizard Rondo」を演奏。

あれ?

あかねさんの髪型がRondoと一緒になってる(笑)

 

あー、楽しかった。

お越しいただいた方々、ありがとうございました!

また来年、お会いしましょう!

 

「Small Wizard Rondo」は近日中に公開します。

お楽しみに!

「太陽が知っている」

今日もまたまた、我が心の師、ステファン・グラッペリのマニアックな話を。

 

先日、とある方から、「太陽が知っている」という映画でステファン・グラッペリがバイオリンを弾いている、という話を聞きました。

太陽が知っている HDマスター版 [DVD]

 

1969年作、アラン・ドロン主演のフランス映画で、音楽はミッシェル・ルグラン

 

全く知らなかったので、すぐにサントラを購入して、聴いてみました。

太陽が知っている オリジナル・サウンドトラック

 

僕が手に入れたのは、監督のジャック・ドレーと音楽のミッシェル・ルグランのコンビで制作された3作品が1枚に収録された物でした。    

 

そして、確かに「太陽は知っている」では、数曲、ステファン・グラッペリがバイオリンを弾いているじゃないですか!

しかも、サントラの内容が素晴らしい!

 

レコードも欲しいと思い、色々調べてみると、再発盤は数枚出ているのですが、1969年のオリジナル盤は何故かフランスと日本でしか発売されなかったらしく、超貴重とのこと。

もしどこかで見かけたら、すぐに買いましょう!(笑)

 

 

それから、先日ホームページをリニューアルした関係で、僕とステファン・グラッペリの想い出をまとめた「高橋青年のステファン・グラッペリ物語」はこのブログに移動しました。

お暇な時にでも、是非お読みくださいませ。

siestajun.hatenablog.com

「Small Wizard Rondo ロンド〜小さな魔法使い〜」ほぼ完成!

ようやく新作コマ撮りアニメーション「Small Wizard Rondo ロンド〜小さな魔法使い〜」がほぼ完成しました!


残るは、最後のクレジットの部分だけです。

ここには作品作りをサポートしてくださった方々のお名前を入れる予定です。

10/7の完成披露コンサートまでサポーター募集しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします!

atelier-siesta.cdx.jp

 

 

そして、10月7日(土)の完成披露コンサートも近づいてきました!

 

チケット好評発売中です!

コンサートの特設ページはこちら。

www2u.biglobe.ne.jp



それから、告知動画も作成してみました!


www.youtube.com

 

皆様のお越しをお待ちしております!

 

 

今日は「CAFE SIESTA」で、映画「黒猫、白猫」のサントラを聴きました。

黒猫、白猫

 

この映画、最高ですよ!

監督は、旧ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ

是非一度ご覧くださいませ。

黒猫・白猫(字幕版)

 

Spotifyはこちら。

open.spotify.com

高橋青年のステファン・グラッペリ物語(番外編)

 

2016年6月、ステファン・グラッペリが亡くなってから19年が経ち、高橋青年は高橋中年になっていました(笑)。

グラッペリが亡くなった一週間後に犬(ゴールデン・レトリーバー)を飼い始めたので、全く海外に行けてなかったのですが、遂に20年振りにフランスを訪れることになりました。

 

まずは、念願だったグラッペリのお墓参りに行きました。

グラッペリはパリ20区にある、ペール・ラシェーズ墓地に眠っていました。(火葬でした)

 

それから、モンマルトルの丘でちょっと演奏してみました。

 

ギャルリー・ヴィヴィエンヌでも少し演奏。

 

友人宅でも演奏。

 

レンタカーを借り、パリから北へ。

ルーアンで20年前に演奏した場所を探し、演奏してみました。

 

カーンに移動し、カーン市公認の「音楽の日」のプログラムで「カーン美術館」で演奏。

 

街角でもちょっと演奏。

 

そして、翌日、カーン市近郊ファレーズにある「サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂」(別名:りんごの礼拝堂)でコンサートを行いました。

素晴らしい時間でした。

 

再びパリに戻り、グラッペリ家を訪問。

今でも、グラッペリのマネージャーだったジョゼフさんがお住まいで、手料理をごちそうになりました。

(グラッペリの使っていた皿)

 

「グラッペリが亡くなって寂しいので、壁の色を明るく塗り替えた」とジョゼフさんがおっしゃってました。

(リビング)

 

(玄関)

 

(グラッペリの机)

 

 

そして最後に、ジョゼフさんが高橋中年に「お前はステファニストなんだから頑張れ!」と言って、グラッペリの遺灰を分けてくださいました。

死ぬ気で頑張りますー!

(グラッペリの遺灰)

高橋青年のステファン・グラッペリ物語 14「さよならグラッペリ」

 

翌年の6月、グラッペリは5度目の来日をしました。

足がかなり悪いようで、ステージは車椅子に乗ったままでの演奏でした。

 

コンサートを聴きながら、高橋青年は何度も涙を流しました。

グラッペリがそのまま消えて無くなりそうな気がしました。

演奏を聴いているというよりは、エネルギーを浴びているという感じのする、不思議なコンサートでした。

 

コンサート終了後の楽屋で、高橋青年と山口あかねは、少しだけグラッペリと話をすることができました。

そしてそれが、グラッペリとの最後の別れになりました。

 

ステファン・グラッペリは、次の年(1997年)の12月1日、89歳でその生涯を閉じました。

さよならグラッペリ。

 

あとがき

遠く地球の裏側の老人が演奏した音楽が、CDやレコードという形になって国境を越え、違う国の若者に生きるエネルギーを与える。

それって、本当に素晴らしい事だと思います。

そして、自分も音楽を演奏する者のひとりとして、そういったエネルギーを何らかの形で伝えていきたいと思います。

ステファン・グラッペリという素晴らしい人物と、少しでも同じ時代を生きれた事、そして幸運にも直接お会いして、その人格にふれる事ができた事に感謝します。

ありがとうグラッペリ。

僕も頑張ります。

 

最後に、グラッペリが4度目の来日をした時のエピソードを少しだけ、、、

 

コンサート終了後の楽屋に、バイオリンを持った一人の男性が現われ、グラッペリに「弟子にして欲しい」と言いました。

それは、ずっと僕が言いたかった言葉であり、どうしても言い出せなかった言葉でした。

すると、マネージャーのジョゼフさんが、その男性に言いました。

「グラッペリはこれまでに、一人の師匠も居なければ、一人の弟子も居ません。コンサートこそが彼のレッスンなのです。学びたければコンサートに来て下さい。そこに彼の全てがあります。」

それを聴いて僕は思いました。

 

「という事は、もしかして、グラッペリのレッスンを一番多く受けた日本人は俺かな?」(笑)

2005年7月20日

シエスタ 高橋じゅん

 

番外編はこちら。

siestajun.hatenablog.com

高橋青年のステファン・グラッペリ物語 13「音楽の日」

1995年6月 パリ、モンマルトルの丘にて

 

フランスでは毎年、夏至の日(6月20日頃)は「音楽の日」です。

パリは普段から路上で演奏している人が多いのですが、この日ばかりは特別で、物凄い数の音楽家が、街のいたる所に出現します。

街角、地下鉄、カフェなど、本当に凄い数です。

 

高橋青年と山口あかねもパリに住んでいる時、この「音楽の日」に遭遇して、大変驚きました。

そして「いつか自分達も演奏してみたい」と思いました。

 

1995年6月、高橋青年と山口あかねは、フランスへ行って「音楽の日」に演奏してみる事にしました。

二人はモンマルトルの丘で、大正ロマン風の衣装を着て演奏しました。

 

 

せっかくパリまで来たので、高橋青年は、ステファン・グラッペリに会えないかと思い、連絡を取ってみました。

すると、グラッペリはレコーディングの真最中で、二人をスタジオに招待してくれました。

二人がスタジオに行ってみると、グラッペリは、ミッシェル・ペトルチアーニというフランスのジャズ・ピアニストとレコーディングをしていました。

この時の録音は、「フラミンゴ」というタイトルでCD化されています。

1995年6月 パリのスタジオにて

Flamingo (+3 bonus tracks)

 

スタジオで、マネージャーのジョゼフさんが、二人を見つけて嬉しそうに言いました。

「この間日本で君たちにもらったシャツ、グラッペリが気に入ってよく着ているよ。」

 

二人はつくづく、「グラッペリは花柄のシャツが好きなんだなぁ」と思いました。

 

続きはこちら。

siestajun.hatenablog.com

高橋青年のステファン・グラッペリ物語 12「留守電」

当時のシエスタ 鹿児島にて

 

東京にやって来た高橋青年と山口あかねは、無我夢中で働きました。(若かった)

遊園地、船上クルーズ、イヴェント、結婚式、パーティー、大道芸、呼ばれればどこにでも出かけ、演奏しました。

仕事は比較的順調で、大きな舞台の仕事(ミュージカル)なども経験しました。

 

やがて、東京での生活も2年が過ぎた頃、またもや、ステファン・グラッペリが日本にやって来ました。

この時、グラッペリは既に87歳。

足が相当悪いらしく、移動は車椅子で行っていました。

でもステージではすごく元気で、とても87歳の老人とは思えませんでした。

 

高橋青年と山口あかねはコンサートに行く際、何かプレゼントをと思い、黄色い花柄のシャツを買いました。

そして、コンサート終了後の楽屋で、約2年半ぶりに再会し、プレゼントを渡しました。

4度目の来日 1995年4月2日

 

その日、高橋青年が家に帰ると、ステファン・グラッペリから留守電が入っていました。(当時は携帯電話はありません)

「今ホテルの部屋に戻ってプレゼントを開けてみたら、綺麗なシルクのシャツが出て来て、すごく嬉しかったから電話したんだ。素敵なプレゼントありがとうね。チュッ!チュッ!!」と、ものすごい喜び様でした。

(ちなみに最後のチュッ!チュッ!!は、グラッペリのキスの音です)

この時のテープは、今でも残ってます。(かなり貴重かも)

 

続きはこちら。

siestajun.hatenablog.com