高橋青年のステファン・グラッペリ物語
2016年6月、ステファン・グラッペリが亡くなってから19年が経ち、高橋青年は高橋中年になっていました(笑)。 グラッペリが亡くなった一週間後に犬(ゴールデン・レトリーバー)を飼い始めたので、全く海外に行けてなかったのですが、遂に20年振りにフラン…
翌年の6月、グラッペリは5度目の来日をしました。 足がかなり悪いようで、ステージは車椅子に乗ったままでの演奏でした。 コンサートを聴きながら、高橋青年は何度も涙を流しました。 グラッペリがそのまま消えて無くなりそうな気がしました。 演奏を聴いて…
1995年6月 パリ、モンマルトルの丘にて フランスでは毎年、夏至の日(6月20日頃)は「音楽の日」です。 パリは普段から路上で演奏している人が多いのですが、この日ばかりは特別で、物凄い数の音楽家が、街のいたる所に出現します。 街角、地下鉄、カフェな…
当時のシエスタ 鹿児島にて 東京にやって来た高橋青年と山口あかねは、無我夢中で働きました。(若かった) 遊園地、船上クルーズ、イヴェント、結婚式、パーティー、大道芸、呼ばれればどこにでも出かけ、演奏しました。 仕事は比較的順調で、大きな舞台の…
感動のグラッペリ家訪問から3週間後、高橋青年は約1年半のフランス滞在を終え、無事帰国しました。 京都に戻った高橋青年の周囲では、メチャクチャな噂が飛び交っていました。 「なんか、フランスのすごい先生の所で修行して来たみたいやで。しかもアコーデ…
1992年8月27日 グラッペリ宅にて 高橋青年と山口あかねは、約2時間、ステファン・グラッペリ宅で、とても楽しい時間を過ごしました。 夢の様な時間でした。 グラッペリ家では、色々なエピソードがありました。 花柄のシャツ グラッペリはいつも花柄のシャツ…
シエスタ結成当時 1992年8月 PARIS 1992年8月、高橋青年は焦っていました。 気が付けば、フランスでの生活も既に一年以上が経過し、日本で貯めた滞在費が残り僅かになっていたからです。 どう計算してみても、フランスには、あと2ヶ月ぐらいしか居れませんで…
パリに戻ってすぐに、二人は引っ越しました。 最初のアパルトマンの契約が2ヶ月だけだったためです。 新しいアパルトマンはモンパルナス駅の近くにあり、周りはすごい繁華街でした。 二人はよく近所を散歩しました。 モンパルナス駅からサンジェルマン・デ・…
パリでの生活を始めた高橋青年でしたが、どうやってステファン・グラッペリと連絡を取っていいか分からず、悶々とした日々を過ごしていました。 名刺をもらったからといって、世界的バイオリニストに、気軽に電話する訳にもいきません。 「電話ではうまく話…
コンサートの場所は、パリの郊外、コロンブという街でした。 気合いの入り過ぎた高橋青年は、随分早く現地に到着してしまい、やる事も無いので取り敢えず会場まで行ってみる事にしました。 開演まではまだ3時間以上あり、会場は静まり返っていました。 「さ…
1991年12月29日、スペインのバルセロナにやって来た高橋青年は、市内を観光していました。 ガウディのサグラダ・ファミリアに行き、ピカソ美術館を見学した後、ぶらぶらと旧市街を散策していると、広場で偶然、一人の日本人女性と出会いました。(ナンパか?…
本格的にフランス語を勉強するため、高橋青年は、ホームステイをする事にしました。 そこで、語学学校に頼んで、ホストファミリーを紹介してもらいました。 高橋青年が紹介されたのは、アレクサンダ-・C・ベネット(以後アレックス)という人の家でした。 …
勢いにまかせて、はるばるフランスまでやって来た高橋青年でしたが、ステファン・グラッペリがどこに住んでいるかも分かりません。 そこで取り敢えず、知人を頼って南フランスのトゥールーズという街に住み、フランス語の勉強をする事にしました。 語学学校…
1989年5月20日、ステファン・グラッペリは、本当に日本にやって来ました。 81歳の初来日です。 高橋青年はもちろん、コンサートに行きました。 席は、前から4列目。 すぐそこで、夢にまで見た憧れの人が演奏していました。 コンサートの前半は、バイオリン、…
遠い昔、高橋青年が20歳の頃の事です。 寒い冬の日、偶然入った中古レコード屋で、高橋青年は一枚のレコードを見つけました。 それは、フランスのバイオリニスト、ステファン・グラッペリの「ヤング・ジャンゴ」というレコードでした。 そのレコードを聴き、…